KOSHIEN-AGENT

3年間CかD…大阪桐蔭のクラス分け 社会人で後悔した「勉強の習慣」

■学習塾に通ったものの…勉強への興味や意欲が湧かず

すでに進学先が決まっている人もいますが、中学生や高校生は受験勉強のラストスパートをかける時期です。今回のコラムは、現在の私の反省にもなっている「勉強」をテーマにお届けします。

私は小学校、中学校ともに地元の公立だったので、高校受験が初めての受験でした。大阪桐蔭を志望校にしたのは、中学3年生の夏頃です。それまでは、PL学園をはじめ、甲子園に出場できる石川県外の強豪校に入学したいという漠然としたビジョンしか描いていませんでした。

野球を武器に入学すると言っても、学力の基準を設ける高校は多いです。どんなに野球で突出した能力や実績があっても、勉強ができなければ受験で合格できないと周りからも聞いていたため、中学生の時は学習塾に通っていました。それから、高校側から声がかかっても、最後に推薦を出すのは中学校です。成績が原因で中学校から推薦を受けられなかった先輩も見てきたので、しっかりと勉強しないといけない意識を持っていました。

ただ、私の成績は良くなかったです。塾に通っていたものの、行くことが目的になってしまい、勉強量が足りていませんでした。野球と違って興味や向上心を欠いてモチベーションが上がらず、楽な道を選んでしまいました。知識を増やすために塾へ通っているのに、少し考えて分からないと隣の席の友人に回答を見せてもらったり、宿題も友人が解いたものを写したりすることが多々ありました。結果的に、要領の良さを学ぶ形になってしまいました。


母校の大阪桐蔭高校

 

■“文武分業”の大阪桐蔭 3年間「勉強できないグループ」に在籍

定期テスト前は机に向かう時間をつくって、自分なりに勉強しました。しかし、長い時間座っているのが苦手でした。教科書やノートを読んでいても、文字を目で追っているだけで、勉強と関係ないことを考えていました。勉強の仕方が分かっていない典型だと思います。テストで良い点数を取りたかったという後悔はありませんが、勉強の習慣や仕方を身に付けるべきだったと反省しています。

私が高校を卒業してから10年以上経っているので、今の合格基準は分かりませんが、当時の大阪桐蔭は野球推薦であれば、基本的に全員が入学できました。実は、大阪桐蔭は進学校です。正確に表現すると、勉強を頑張る生徒と運動を頑張る生徒が役割分担する“文武分業”と言えます。

高校のカリキュラムはⅠ~Ⅲ類に分かれていて、Ⅰ類とⅡ類が東大や京大、国公立大学の医学部をはじめとする難関大学への進学を目指します。Ⅲ類は運動で全国トップレベルを狙うコースで、野球部やラグビー部などの生徒が所属します。

Ⅲ類の中でもA~Dまで学力に応じてクラス分けされます。野球部はAに入らず、B~Dのいずれかです。野球部の同級生では、藤浪晋太郎や平尾奎太ら4~5人がBでした。定期テストの結果などでクラスは定期的に入れ替わりましたが、私は3年間CかDでした。CとDに差はないと言われていたので、ずっと「勉強ができないグループ」にいたことになります。


野球漬けの生活を送った大阪桐蔭時代

 

■社会人になって痛感 勉強する習慣の大切さ

大阪桐蔭の野球部は定期テスト前でも部活があります。それでも、普段より少しだけ練習が早く終わって、寮で食事を終えてから食堂に集まって勉強する時間が設けられました。学年ごとに固まってテスト勉強する時間でしたが、私は優先的に覚える内容を平尾に教えてもらいました。平尾は遠征で移動中のバスの中でも教科書を読むなど、隙間時間も活用している姿が記憶に残っています。藤浪も勉強ができるタイプでしたが、移動中は寝て体を休めて勉強する時は集中するというようにメリハリをつけていた印象です。

小・中学校以上に野球が生活の中心となった高校で勉強の習慣は身に付かず、成績は伸びませんでした。時には課題を提出して、不甲斐ない定期テストの結果を穴埋めすることもありました。

大阪桐蔭卒業後に進学した亜細亜大学には、野球推薦で入学しています。入試は筆記がなく、作文と面接のみでした。チームメートにも恵まれて野球で評価してもらい、高校も大学も入学できたことはありがたい限りでした。ただ、そこに甘えず、勉強の習慣は身に付けるべきでしたね。

経営者になった今、少しずつですが机に向かう時間をつくっています。自宅で何気なく過ごしている時もYouTubeで経営者の対談を流すなど、インプットの環境づくりを意識しています。2月23日に31歳になりましたが、学びに年齢制限はないと思っています。