■大学1年であきらめたプロ 日本代表の練習で自信喪失
前回のコラムでは甲子園の思い出をお伝えしました。今回のテーマは、私の野球人生で出会った「最強の打者」についてです。
小学2年生で野球を始めてから社会人野球の東邦ガスで現役を退くまで、私は何百、何千の選手を見てきました。プロになった選手も数多くいます。中学時代に所属していた石川県の白山能美ボーイズでは、現在DeNAに所属する京田陽太選手が同学年のチームメートでした。亜細亜大学では阪神の木浪聖也選手が同級生です。
大阪桐蔭高校では、米国でプレーしている藤浪晋太郎投手やロッテの澤田圭佑投手が同級生でした。高校3年生の時に選出された日本代表のチームメートには、ドジャースの大谷翔平選手もいました。
私は大学1年生まで、プロ野球選手を目指していました。しかし、ある出来事から夢をあきらめました。それは、日米野球の大学日本代表に選ばれた際の練習です。当時はバッティングに絶対の自信を持っていましたが、2人の選手のフリー打撃を見て愕然としました。
その2人は、ソフトバンクの山川穂高選手とレッドソックスの吉田正尚選手です。スイングスピード、飛距離、ミート全てにおいて格が違いました。吉田選手は私より体が小さいのに、逆方向に柵越えを連発していました。
■山川選手と吉田選手を超える驚き 「最強打者」は大阪桐蔭の後輩
私は足が速いわけでも、肩が強いわけでもなかったので、プロで活躍するにはバッティングしかないと考えていました。ところが、山川選手や吉田選手とは勝負できるレベルにないと痛感しました。この時、所属していた亜細亜大学での残り3年間はチームの勝利のために全てを尽くそうと決めました。
山川選手と吉田選手は学年が上という要素を差し引いても、私のバッティングでは到底及びません。ただ、この2人以上にすごいと感じた「最強打者」がいます。今までに出会った中で最もすごかった選手を問われたら、私は迷わず「森友哉」の名前を挙げます。
1学年下の森選手は、大阪桐蔭に入学してきた当初からバットの芯で捉える技術が突出していました。芯を外すことはほとんどありませんでした。今振り返ると、タイミングの取り方が上手かったと感じています。
打球の音も1人だけ異次元でした。チームには色んなメーカーの金属バットがあるので、それぞれ音に特徴がありました。でも、森選手だけは、どのバットを使ってもみんなと音が違うんです。金属バットの音ではない、パカーンという聞いたことのない音がグラウンドに響いていました。
■「弱点が分からない」 森選手にだけ感じたすごさ
練習では、どの選手も自分のバットを使います。ところが、森選手は「バット借りま~す」と先輩に声をかけ、バッティング練習で自分のバットを使っていませんでした。それでも、シート打撃で2打席、3打席連続でホームラン。森選手にはバットの長さや重さは関係ありませんでした。
私が森選手に感じた一番のすごさは「弱点がなく、調子の浮き沈みが小さいところ」です。同じチームでプレーして距離が近くなると、味方の弱点が分かります。日本代表のように一緒に過ごす期間が短くても、普段は対戦して怖さを感じる打者の苦手な球種やコースが見えてきます。同じチームになると、どんなすごい打者でも怖さがなくなるんです。
私は高校、大学、社会人、さらには選抜チームや日本代表で、後にプロ入りした多くの選手とともにプレーしました。その中で、森選手だけは最後まで弱点が分かりませんでした。高校時代は打率だけは負けない思いで練習し、大会によっては森選手の数字を上回った時もありましたが、バッティング技術という面では全く届かなかったですね。
森選手と自分の差を感じたエピソードには「情報共有」があります。大阪桐蔭では、打席で目にした相手投手の投球について選手同士が情報を共有します。当時、森選手の打順は1番で、私は3番でした。森選手がヒットで出塁すると、コーチャーを通じて森選手が打席で感じた印象が私に伝えられました。
■「球が全然きていない」 森選手の言葉を信じたら凡退
他の選手からは、「真っ直ぐが手元で伸びて、球速表示より速く感じる」、「スライダーの曲がりが小さくてカットボールに近い」といった細かい情報が入ってきます。しかし、森選手からの情報は、いつも同じ内容でした。「真っ直ぐは全然きていません」、「変化球も問題なく見えます」。森選手の言葉を信じて打席に入った結果、真っ直ぐに差し込まれて凡退した時もありました。
森選手からは、相手投手を警戒する言葉を聞いたことはないですね。高校時代は、ずっと「球がきていない」感覚で打席に立っていたのだと思います。
森選手は野球の才能が突出していたのは間違いありません。ただ、その能力に胡坐(あぐら)をかいていたわけではなく、しっかり練習もしていました。自主練習を人一倍やるよりも、全体練習でいかにパフォーマンスを上げていくかを考えながら動いていた印象です。
森選手を含み、大阪桐蔭からは毎年のようにプロ野球選手が誕生しています。チーム内競争が激しい大阪桐蔭では、プロに行けるレベルの選手を目指して練習するので自然と個々の力が上がります。当たり前の基準が高くなっていくわけです。そこに、毎年選手が入れ替わっていく中でも安定した成績を残せている理由があると考えています。