■亜細亜大学4年時 母校・大阪桐蔭で教育実習
前回のコラムでは、私が教育実習で大阪桐蔭高校へ行った際に交流した巨人・泉口友汰選手について書きました。今回は、教育実習の続きです。
通常、大学生が教育実習に行くのは4年生の春か夏頃です。ただ、高校側の配慮で、秋のリーグ戦が終わってからの時期に調整していただきました。その時点で、私は東邦ガスへの入社が決まっていました。大学卒業後に教員を目指す人たちとは事情が違ったため、準備を含めて授業に目いっぱい時間をかけるよりも、野球部の手伝いをしてほしいと西谷先生から依頼されました。
そこで、教育実習ではクラスごとに全て異なる授業をするのではなく、プランをいくつか立て、それをベースにアレンジしていくやり方で授業を進めました。授業の準備時間を減らす分、放課後は野球部の練習をサポートしました。
担当したのは社会科の授業です。教壇に立って感じたのは、生徒が授業に集中しているのか、内容を理解しているのか、表情や動きを見ると意外に分かるということです。自分が高校生の頃は上手く取り繕っているつもりでしたが、先生たちには見抜かれていたんでしょうね。

教育実習で訪れた母校・大阪桐蔭高校
■放課後は野球部のサポート 藤原恭大選手のスピードに驚き
西谷先生の接し方も高校生の頃とは全く違いました。私を大人として扱っている感じを受けました。野球部の練習に参加していると、質問や相談を受けました。当時、私が所属していた亜細亜大学の野球部は強かったこともあって、練習内容や戦術について聞かれましたね。
放課後の部活で紅白戦をした際は一方のチームの監督を任され、試合後は「投手にクセはあった?」、「選手の動きで気になるところはなかった?」など、色々と尋ねられました。西谷先生は私の意見や考えも参考にし、常にチームを強くするヒントを探している印象を受けました。
教育実習に行ったのは11月だったので、1、2年生の新チームで始動していました。特に目を引いたのは、1年生だった藤原恭大選手です。肩を痛めていてコンディションは万全ではありませんでしたが、全身がバネのようでスピード感がありました。大阪桐蔭の中でも突出していて、確実にプロに行くと思いました。
グラウンドの練習だけではなく、寮でミーティングにも参加しました。教育実習には私のほかに、同級生で大阪桐蔭OBの妻鹿聖も来ていました。ミーティングでは苦しい練習の意味、その先に得られる財産、さらに自分たちが甲子園で春夏連覇した頃の話などを後輩たちに伝えました。西谷先生からは「お前たちが部活に来てから、チームが良くなった」と感謝の言葉をいただきました。教育実習で一緒に過ごした選手たちの動向は気にしていますし、藤原選手の学年は甲子園で春夏連覇を達成したのでうれしかったですね。
■日本一の厳しさが… 教職課程の履修で練習を回避
亜細亜大学の野球部は教職課程を履修して、教育実習に行く選手が多いです。ただ、実際に教師になるのは数えるほどでした。私の同級生は1人もいませんし、先輩や後輩も1学年で数人だったと思います。
教員免許を取るには修得する単位が増え、授業数も多くなります。勉強が大変になるにもかかわらず、なぜ野球部員が教職課程を取るのか。もちろん、教員を志している選手もいますが、一番の理由は授業や教育実習で練習に行かなくて良いからです。
私の1つ、2つ上の先輩たちは、ほぼ全員というくらい教員免許を取っていました。亜細亜大学の練習は「日本一厳しい」と言われています。その練習時間を少しでも減らすため、教職課程を履修している選手が圧倒的多数でした。
その魂胆を監督やコーチが感じたのか、私の学年は「教員になるつもりがないなら、教員免許を取るな。野球に集中しろ」と釘を刺されました。ただ、私は大学入学前から、生田勉監督に「お前は教員免許を取った方が良い」と進言されていました。同級生の中には教職課程を履修するつもりですと報告して怒られた選手もいましたが、私は何も言われませんでした。
私は今のところ、教員になろうと考えたことはありません。もしかしたら将来、心境が変化するかもしれないという思いはわずかにあったとは言え、亜細亜大学の野球部ではなかったら教職課程を履修していないと思います。勉強は好きではありませんが、あの練習をするよりは耐えられるという気持ちが勝って教員免許を取りました。