■グラウンド内外で心強い仲間 1位の選手は「人生の師」
5月に投稿した「打席で驚いた投手ベスト5」のコラムの反響が大きかったので、シリーズ第2弾をお届けします。今回は「心に残るチームメートベスト5」です。
打席で驚いた投手ベスト5の時と同様、5人に絞り込むのは難しい内容でした。ランキングは高校や大学が同じだった選手だけではなく、日本代表など短期間のチームメートも対象にしています。
【5位:森友哉捕手(オリックス)】
森選手は大阪桐蔭高校で1学年後輩でした。打撃がセンスの塊で、「天才」の一言に尽きます。2024年11月に投稿したコラムでも森選手の打撃については触れましたが、体が強くて技術も高い。弱点が見当たらず、フリー打撃をしていても1人だけバットから響く音が違いました。
森選手が打撃に悩んでいる姿を見たのは一度だけでした。最終的に優勝を果たした2012年選抜高校野球大会の開幕直前、「調子が悪い」といって室内練習場に残って打撃練習をしていました。
森選手は打線の中心を担っていたので心配していましたが、センバツ初戦では花巻東の大谷翔平投手から逆方向への長打を放つなど、3打数2安打、2四死球と打線を牽引しました。その後も準々決勝の浦和学院戦で3安打、準決勝の健大高崎戦で本塁打を記録するなど大活躍でした。
【4位:吉田正尚外野手(レッドソックス)】
大学は違いましたが、大学日本代表で一緒にプレーした1学年先輩です。決して体は大きくないにもかかわらず、飛距離がずば抜けていました。しかも、コンタクト率が高く選球眼も抜群。どんな投手に対してもタイミングを合わせるのが上手かったですね。
それから、自らを客観視する「メタ認知」にも長けていました。自分自身を知り尽くしているので、全員がウォーミングアップでランニングしている時、吉田選手だけはフェンス際でチューブを使って内転筋を刺激するメニューに取り組んでいました。どんな練習や準備をすれば試合でベストな結果を残せるのか、大学生の時点で熟知していたのだと思います。
意外だったのは、ウエイトトレーニングをしていなかったことです。日本代表では同じ部屋で2週間くらい過ごしましたが、一度もウエイトをしていませんでした。おととし、一緒に自主トレする機会をいただいてジムに行った時も、ベンチプレスやスクワットでも軽い負荷で下半身と上半身を連動させるメニューがメインでした。吉田選手はマッチョマンと呼ばれていますが、そのイメージとトレーニング内容にギャップを感じました。
【3位:坂本誠志郎捕手(阪神)】
坂本選手も1学年上で大学は違いましたが、大学日本代表でチームメートでした。坂本選手とも代表の部屋が同じでした。3位に挙げた理由は観察力です。グラウンド内外で、どの選手が何をしているのか、どんなクセがあるのかなど見ていました。
私は外野手だったので練習中の接点は少なかったものの、部屋ではよく会話しました。坂本選手は「あの投手はブルペンで投げ過ぎたらダメなタイプ」、「あの投手はスライダーでストライクを取れなくなったら交代のタイミング」など、限られた期間で投手の特徴を詳しく理解していました。監督のような存在でしたね。
【2位:木浪聖也内野手(阪神)】
亜細亜大学の同級生です。グラウンドに一番早く来て、最後まで練習する努力家でした。亜細亜大学の練習は「日本一厳しい」とも言われています。その中で、木浪選手は全体練習の後も自主練習で個人の課題に取り組む並外れた体力と精神力がありました。チームの模範となる選手でしたね。野球塾を運営する立場となった今、私は木浪選手を思い出しながら「練習できる体力がないと上手くなれない」と子どもたちに伝えています。
木浪選手は走力や肩の強さも突出していません。体は私より細いくらいでした。けがもあってレギュラーに定着できない時期があり、そこまで目立つ選手ではありませんでした。正直、大学時代はプロになる選手とは想像していませんでした。
ところが、Hondaに進んで社会人野球で対戦した時、あまりの変化にビックリしました。打撃が大学時代と比較にならないほど、スケールアップしていたんです。亜細亜大学では長距離砲がいたこともあって、木浪選手はバットを短く持って、つなぎ役に徹していました。Hondaではバットを長く持つスタイルに変え、飛距離も柔らかさも格段に向上していました。大学を卒業してから開花したのは、それまでの努力の積み重ねがあったからこそだと思っています。
【1位:嶺井博希捕手(ソフトバンク)】
亜細亜大学で3学年上の先輩でした。嶺井選手のすごさは、人間性です。細かいところまで目配り、気配りができる先輩で「嶺井さんのような人間になりたい」と思わせる存在でした。
社会人になってから嶺井選手の教えが生きた場面が多々あります。例えば、亜細亜大学では納会や祝勝会で、会場にいる関係者の方々に挨拶回りをします。その際、嶺井選手に同行していた私は、関係者と会話をしながらグラスを見てお酒を注いだり、灰皿を用意したり、取り皿を交換したりするなど、相手を見て一歩先に行動する大切さを学びました。相手の行動を観察し、気持ちや考えを想像する姿勢はビジネスの場で大切にしています。
大学の1年生と4年生は一般的に直接話をする機会がほとんどありません。特に嶺井選手はグラウンド内で厳しく、2、3年生もあまり話しかけているところを見かけませんでした。私はオフの日に治療院へ連れて行ってもらったり、2人で食事に行ったり、目をかけてもらいました。生田勉監督から「水本の面倒を見てほしい」と頼まれたのか、私が1年生から試合に出ていたからなのか、理由は分かりませんが、嶺井選手の近くで過ごした時間は人生の財産になっています。
以上、「心に残る最強のチームメートベスト5」でした。私は東邦ガスで社会人まで選手を続け、野球を通じて多くの人たちと出会いました。まだまだ紹介したい選手がいるので、コラムでも伝えていきたいと思います。