■亜細亜大学から東邦ガスへ入社 将来の監督に期待
前回のコラムでは亜細亜大学時代の「日本一厳しい環境」と、社会人につながった学びについてお届けしました。今回は、意外と聞く機会が少ない社会人野球のお話をしていきます。
4月は新社会人としてスタートを切る時期です。私は2017年に亜細亜大学卒業し、東邦ガスに入社して硬式野球部に入りました。東邦ガスの硬式野球部は名古屋市を拠点としています。
社会人野球の進路は東邦ガス一本でした。亜細亜大学の生田勉監督から入社を勧められました。私は石川県出身で、高校は大阪、大学は東京で過ごしました。全ての地区に行きやすい中間地点が愛知県だったことや、会社自体に学閥がなく自分の頑張りや結果次第で昇格できるところなどが私に合っていると生田監督から説明を受けました。
就職先を決める面談で初めて、私は生田監督から褒められました。監督からは「お前を選手としても人間としても一番良い人材だと思っている。そんな人間を送り出すので、東邦ガスの監督には『将来的に水本に監督をやらせてほしい』と伝えている」と言っていただきました。初めて褒められたうれしさ以上に、そんなに高く評価していただいたことにびっくりした記憶が残っています。
■自由度の高い社会人野球 時間の使い方や考え方に変化
社会人野球はチームによって仕事と野球のバランスが異なります。東邦ガスの場合、朝から昼頃まで仕事をして、午後1時半頃から練習でした。午後4時頃まで全体練習で、その後は自主練習になります。土曜日に試合が入って、日曜日はオフになるケースが多かったです。ただ、都市対抗野球や日本選手権といった大きな大会前は強化練習に入り、会社に出勤せず野球に専念します。
前回のコラムで書いた亜細亜大学とは違って、自主練習の時間は長くありませんでした。私もそうでしたが、全体練習が終わったら帰宅する選手も多いです。社会人時代は疲れがたまっていない状態で過ごせていたので、体が軽すぎると感じる時もありましたね。
全体練習は各自でウォーミングアップをしてから、キャッチボール、ノック、フリー打撃をします。高校や大学のように走者をつけたノックや打撃練習はしません。社会人野球は自由度が高く、選手に任される部分が大きくなります。学生の頃は指導者から「こういう風に打て」と指摘されますが、社会人野球では「こういう風な動きになっているから、自分で確認してみて」とヒントをもらうイメージです。
高校や大学の時と比べて年齢的に体に無理が利かなくなってくることもあって、社会人野球は大まかに言うと量より質にこだわった時間の使い方にシフトします。バットを振る量を減らす分、スイングの映像を見たり、相手投手の分析をしたりして結果を出す方法を考えます。
社会人野球では東邦ガスで5年間プレー
■けがで苦しんだ4年間 5年目に自己最高の成績残して引退
私が全体練習後に自主練習しなかったのも、効率良く時間を使うための一環でした。自主練習のメインとなるウエイトトレーニングは毎朝の出勤前に済ませ、全体練習が終わったら将来を見据えてビジネスの勉強をしていました。当時、プロになる夢はあきらめていて、東邦ガスで野球部の監督に就くのか、野球を引退したら起業するのか、どちらかの道を考えていました。
東邦ガスでのモチベーションは、シーズンを通してチームに貢献することでした。私は入部してから3年連続でけがをしています。肺に穴が開いたり、試合中のタッチプレーで膝を痛めたり、避けるのが難しい故障もありました。3年目に膝を手術して4年目はリハビリで1年が終わってしまい、5年目は必ず復活すると強い決意を持っていました。
5年目は今までで一番の成績を残し、自分の中で納得できました。都市対抗野球の出場を最後に、現役引退を決めました。東邦ガスを勧めてくれた生田監督には電話で引退を報告しました。自分からユニホームを脱ぐ決断に反対されたり、怒られたりすると予想していましたが、「思ったよりも早かったが、よく頑張ったな。お疲れさま」とねぎらっていただきました。
野球部員は選手を退くと、他の社員と同じように社業に専念します。私は現役時代、営業部に所属していましたが、引退のタイミングでガス設備の担当に変わりました。東邦ガスが分社化された時期で、営業部門と導管部門に分かれました。私は導管部門が入る東邦ガスネットワークという分社化した会社に出向する形となりました。
■営業からガス設備に異動 力を発揮できる場所求めて退社
営業担当だった頃は、業務時間が限られる中で一定の成果を残せていました。しかし、異動したガス設備の部署では全く戦力になれませんでした。会社への申し訳なさや自分に合った環境で働きたい気持ちが強くなり、起業を決めました。
入社する際、将来的に野球部の監督をする期待をかけられていたため、心苦しさはありました。ただ、東邦ガスで監督に就くには社内での昇格も必要で、年齢的には最短で30代半ばになります。私が現役を引退したのは26歳。会社に10年間残るよりも、退社して新たな道を選びました。
東邦ガスでプレーできた期間は短かったですが、得るものは多かったです。特に、社会人野球で長く活躍する選手の準備や自己管理の徹底を間近に見られたことと、仕事には向き不向きな業務があると実感できたことは今につながっています。
社会人野球で長くプレーしている選手は自らを知り尽くしています。スパイクを履く時期といった細かい年間スケジュールも含めて、自分に合った調整法を確立しています。年齢による体の変化も敏感に感じ取り、臨機応変にメニューを組み替える引き出しも多いです。学生のように卒業というゴールが決まっていない中で、体も心も整えて高いパフォーマンスを維持するのは、野球の技術だけではない要素も求められると感じました。
Ring Mattch設立後も野球をきっかけにした出会いに恵まれています
■野球経験者の引退後 成功のカギは企業とのマッチング
サラリーマンを経験できたのも貴重でした。野球部員は引退後、大半が営業職に就きます。社内の営業成績上位者は野球部出身が占めていました。私も自分が営業には向いていると思っていました。一方、ガス設備の業務は土木や理系の知識が問われ、全く力になれませんでした。
野球も同じですが、仕事にもそれぞれに向いているポジションや役割があります。適材適所とよく言われますが、誰にも得意、不得意な分野があります。現在、弊社で進めている「野球経験者に特化した人材紹介」の事業でも、せっかくの能力が生かせていないと感じる求職者が多いです。
マッチングが上手くいけば、働く人も雇用する企業も幸せなのは間違いありません。これからも、野球経験者がネクストキャリアで輝ける場をサポートしていきたいと考えています。